今回はもしかしたらちょっと嫌な気持ちにさせてしまうかもしれません。
けれども大事なことなので書きます。
婚活界隈に足を踏み入れて、新しい情報が入ってくればくるほど、調べていけばいくほど、この界隈はキラキラした話だけではちょっとやっていけないなと強く感じています。
SNSで発信するときの、自分の中の善意を切り売りする感じわかりますか?最初は理想や希望を楽しみながら、ワクワクしつつ発信できるのですが、長く続けていると、そういったポジティブな想いも本当の自分で気持ちであることに間違いは無い一方で、そうでない反対の自分がいることにも気が付きます。
自分はそんなふうに生きているだろうか。
自分は自分が思うほど立派な人間だろうか。
嘘もつくし、他人を嫌な気持ちにさせてしあうこともある。
好きなひとにわがままを言って困らせることもあるし、本当はやりたくないのに無理して笑顔をつくることだってある。
そういうひととしての両面。
それはとてもとても当たり前で、それも含めて「わたし」で、でもそんな良いところも悪いところもまるごと受け容れて、はじめて「自分」を認めてあげることができるのですが、それでも時に、自分の嫌なところに改めて気が付かされて、げーって思う。
それがSNS発信を続けていて感じることでもあります。
ところがですよ。
婚活界隈というのは、とりわけそういう自分の善意というか、キラキラしたところだけ切り売りをしたくても、できないところが垣間見えるのです。
あいや、垣間見えるレベルじゃないな。
ハッキリとしたデータとして示されてしまって愕然とするのです、かな。
たとえば年齢とか、容姿とか、年収とか、身長とか、そういうのがとっても重要な条件なんだよ!と、およそ普段は簡単には口にできないような内容が、その実、自分の結婚相手ということを考えたらどうしたって譲れない「現実的なものの見方」が世のスタンダードであるということに気が付かされるわけです。
この界隈で普通に使っている「スペック」という用語があります。
まぁそのままの意味です。
僕はどうしてもこのスペックという言葉に馴染めないのですが(正直、口にするのも憚られるレベルで馴染めない)、しかし今やもう日常用語です。
「ひとのスペックってなんだろうか。」
学歴?年齢?見た目??年収????
そんなものでひとの価値って決まるの?
でもこの界隈じゃ、そういうことを考えること自体がもう甘い。
いや、ひとの価値は同じ。優劣なんて本当はないのだ!と考えてみようにも、確かに自分の中の自分は、
「結婚していっしょに暮らすんなら、そりゃぁお金持ちのほうがいいよなー」とか、「キレイでおしとやかな女性が好きだなー」とか、いろんな理想、好みを言うのです。
優劣で語ることができないと考える一方で、私とて、他者の優劣を自身の価値観で判断しているのですよ。実の所。
もちろん、それは僕らの大事な価値観に基づくもので、それが良いこととか悪いこととかそういうことではまったくないのですが、それを声高に「アタシは年収2000万円以上じゃないと絶対嫌!」なんてSNSで言おうもんなら、そりゃぁ叩かれるのです。
まぁアタシがいくら叫んでも、年収2000万円のひとがアタシを選んでくれるのか?と考えれば、選んでもらうにはアタシに相応の価値が求められるだろうことは想像できます。それも年収2000万のひとベースの価値です。アタシが思う価値ではなくて、年収2000万のひとの価値観によるものです。
相手にそれぐらいのハイスペックを要求するなら、当然オマエもそれぐらいのハイスペックなんだろうな、みたいなことを周囲は思うわけです。
婚活界隈がシビアだなと思うのは、そういったSNSを代表とした社会全体の理想論をもった我々に対して、容赦なく、本当に容赦なく現実を突きつけます。
他人に絶対的な善意を、絶対的な正義を求めるひとがたくさんいるように見える世の中ですが、婚活界隈は現実だけをまざまざと突きつけます。
男性なら年収。女性なら年齢。
この2つの条件は、本当に重要です。
これは僕が言っているのではありませんよ。←ここ注意。
どの口がどんな理想を語ろうとも、現実はここにあります。
40過ぎたおっさんが25歳の女性と結婚したいなんて、そんなバカなこと考えるヤツおらんやろと思うかもしれませんが、40過ぎたおっさんはみんな最初に25歳ぐらいの女性を検索します。
35歳ぐらいの女性は、同世代か少し上ぐらいの年収1000万円以上の男性を検索します。
念のため、これが悪いことだという話ではまったくありません。
自分の価値観に照らし、自身の結婚観に照らし、必要な要件を相手に臨むのは当たり前のことです。
それゆえ、この界隈では「よく結婚相手として求められる条件」を集約し、提示するデータ全般をわかりやすく「スペック」と呼びます。
そして、ほとんどすべてのひとが、相手には相応のハイスペックを要求するのです。
それはたぶん、よくもわるくも、すべて「自分事」だからではないでしょうか。他人の結婚相手ならどんなひとでもそりゃぁいいでしょう。究極的には自分には関係がないと考えるからです。「ヒトゴト」なのです。
しかし自分の結婚相手は、残りの半生を共に過ごすパートナーです。命を委ねることができなくては結婚など考えられないでしょう。そう考えれば考えるほど「自分事」なのです。